檜原村・金山鉱山の調査 その2

11月に行った檜原村の調査の続きを・・・。今回は金山鉱山について。
        
まずは今でも残っている金山の採掘場跡。
ここをちょっと整備して、表側だけでも当時の雰囲気が分かるようになると・・・すごいでしょ!?
実は昭和の初めに”観光鉱山”構想を展開すべくこの鉱山口を調査したことがあったらしい。でも中はかなり崩れていて危険!だそうだ。だから、そのまま頓挫してしまったと・・・。ザンネン。
入口の雰囲気を醸し出している両側に見える柱が、坑内にもずーと続いていて、その一本一本にも神様が祀られており、坑内の作業に入るときにその神様方に今日の無事を祈りながら奥の作業場に入って行ったという。作業中はおおきな声を出さない。口笛を吹かないなど事細かいルールもあったらしい。いざという時におおきな声を出して危険を知らせる必要があったから・・・。
支柱は一般的には下が太くて上は細いのが、鉱山のはその逆で、下が細く上が太かったという。逆さ柱が物理的に強かった事と、日光東照宮の建築様式にあるような魔除けの意味があったのかも・・・。
そして同じく金山集落にある精錬所跡へ。
ここは明治時代の精錬所跡。このあたりでは一番新しいもの。以前は大川入川上流で掘り出し、水力を利用して精錬していたのが、だんだん下流に降りてきてこの金山集落の精錬所が最後になったらしい。「へ~このちょろちょろと流れているこの川に水車が何ヶ所もかかっていたのか~。」若い男衆が上流で原石をくだき、水車にかけて少しづつ小さく砕き、その細かくなった砂を下流で年よりがふるいにかけて、金を採取するのがその当時のやりかただったんだと。
力がない婆ちゃんたちがふるいで砂金を選別し、その後反射熱を利用して金を磨鉱、精製していたとか。時々はその金を懐に入れたりして・・・。それが「ネコババ」の語源だって。なるほどね~。
・・・と言うことでまたまた長くなったので続きは”その3”で。

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